「ひでおさん」を悼む
「ひしお」に一歩踏み入れると巨大な石の造形物に眼と心を奪われる。
大きな立方体の石を絶妙に積み重ねた四メートル以上の高さのそれは「舞い上がる立体」というタイトルで、作者はスコットランドに住む、古田日出夫氏である。
「ひしお」をオープンするに当り、当館館長の要請でヨーロッパでも有名なこの彫刻家は気軽に勝山を訪れてくれた。
その彼が十一月に逝ってしまった!
丸二年前の秋、来日し、初めての土地での作業なのに地域の人達の温かい協力で、本当に不思議な程よい仕事場が用意され、彼は力一杯の作品を創り上げて下さった。
その間、約一ヶ月我が家を宿にと迎えた私は初対面ながら何だか初めてでないような懐かしい気がした。
作業場ではそれこそ人を寄せつけない厳しさ、激しさで石に向っておいでだったと思うが、うちで過ごした日々は本当に穏やかであった。夕方、作業場から帰りシャワーを浴びた後、テーブルに就くとスコットランドの人らしく、食前にウヰスキーのグラスを傾ける。私もお相伴してオンザロックにして「今日もごくろうさま」とグラスを合わせたものである。私の側から眺める彼の横顔は何となく亡夫に似たところがあり、又、晩年のカラヤンの面影を思い出すこともあった。優しくくつろいだお顔であった。スコットランドの人里離れた土地で紺碧の海と空だけを眺めて独り創作に打ち込んでいると、こんなに深い色の瞳になるのかなど想像したものだ。いつか垣間見たノートに私にはわかる筈もない幾何学的軌跡の図面のようなものに細かい数字等があるのに驚き、やはり大量の知識・技術・感性・情熱・体力等が彼の芸術の基礎なのだと思った。
完成した作品を所定の場所に据えた時、恰も以前からそこに在ったようにピッタリと、まさにそれは「ひしお」を象徴するモニュメントとして天に向かっていた。
…それから二年、病を得て五十八歳という若さであの立体の中をつき抜けて逝ってしまった。…私には「美津子さん元気でいて下さい。又、一緒に富士山麓を飲みましょう」という最後のカードが残っています。
「ひしお」を訪れる人々に彼は「天に向って舞い上がるように元気をお出しなさい」と語りかけているのでしょうね。訃報に接した時、暫くはあのモニュメントを見るのはつらいなぁと思っていたけれど、今は「はげまし」の言葉と思ったりしています。
素敵一滴14号より

大きな立方体の石を絶妙に積み重ねた四メートル以上の高さのそれは「舞い上がる立体」というタイトルで、作者はスコットランドに住む、古田日出夫氏である。
「ひしお」をオープンするに当り、当館館長の要請でヨーロッパでも有名なこの彫刻家は気軽に勝山を訪れてくれた。
その彼が十一月に逝ってしまった!
丸二年前の秋、来日し、初めての土地での作業なのに地域の人達の温かい協力で、本当に不思議な程よい仕事場が用意され、彼は力一杯の作品を創り上げて下さった。
その間、約一ヶ月我が家を宿にと迎えた私は初対面ながら何だか初めてでないような懐かしい気がした。
作業場ではそれこそ人を寄せつけない厳しさ、激しさで石に向っておいでだったと思うが、うちで過ごした日々は本当に穏やかであった。夕方、作業場から帰りシャワーを浴びた後、テーブルに就くとスコットランドの人らしく、食前にウヰスキーのグラスを傾ける。私もお相伴してオンザロックにして「今日もごくろうさま」とグラスを合わせたものである。私の側から眺める彼の横顔は何となく亡夫に似たところがあり、又、晩年のカラヤンの面影を思い出すこともあった。優しくくつろいだお顔であった。スコットランドの人里離れた土地で紺碧の海と空だけを眺めて独り創作に打ち込んでいると、こんなに深い色の瞳になるのかなど想像したものだ。いつか垣間見たノートに私にはわかる筈もない幾何学的軌跡の図面のようなものに細かい数字等があるのに驚き、やはり大量の知識・技術・感性・情熱・体力等が彼の芸術の基礎なのだと思った。
完成した作品を所定の場所に据えた時、恰も以前からそこに在ったようにピッタリと、まさにそれは「ひしお」を象徴するモニュメントとして天に向かっていた。
…それから二年、病を得て五十八歳という若さであの立体の中をつき抜けて逝ってしまった。…私には「美津子さん元気でいて下さい。又、一緒に富士山麓を飲みましょう」という最後のカードが残っています。
「ひしお」を訪れる人々に彼は「天に向って舞い上がるように元気をお出しなさい」と語りかけているのでしょうね。訃報に接した時、暫くはあのモニュメントを見るのはつらいなぁと思っていたけれど、今は「はげまし」の言葉と思ったりしています。
素敵一滴14号より


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